金融業界を渡り歩いた女装家、肉乃小路ニクヨさんの生き様と「投資」する理由

マルチアセット、円ターゲットLP用写真

慶應義塾大学在学中に女装を開始し、主に銀行と保険会社でキャリアを積んだ肉乃小路ニクヨさん。その葛藤と再生の物語から、人生を豊かにするヒントを探ります。(聞き手は、シュローダー・インベストメント・マネジメント社員、江森紗希)

いじめられたくない!小6で猛烈ダイエット

――ニクヨさんはどんなお子さんでしたか?

親が忙しかったこともあって、すごいテレビっ子だったんです。あまり友達がいなかったので、新聞も熟読。それで、CMを見て覚えた企業名を株式欄で見つけて、数字が毎日動いているぞと興味が湧いて、株価を毎日チェックするようになりました。

――投資との出合いが早いですね!学校ではどう過ごしていましたか?

人見知りで、なかなか話せなかった。あと、肥満児でした。運動は苦手でマラソン大会もビリ。でも、中学受験に失敗して地元の学校に行くことが決まったときに、太っているといじめられるかもと思って、小6の冬から猛烈にダイエットをしたんです。おかげで「ぽっちゃり」くらいにはなりましたね。

男子だけの体育会系みたいな雰囲気が嫌いで、中学校でも運動部には入らなかったですね。今もですが、女性といる方がラク。同性同士だと、ライバル心が生まれて対立が起きたりしがちですけど、女性の輪に私が一人で入ると有利に扱ってもらえるのを肌感覚で分かっていたんです。いやらしい性格だったなと今になっては思いますけど笑。

性のアイデンティティと父親の死に直面した大学時代

――アイデンティティを意識したのはいつ頃ですか?

小さい頃から自然と女性的な振る舞いになっていて。小3ぐらいのときに親に注意されたんですよ。そのときに「きっと学校のみんなも思っているぞ」と気づいたんです。この先きっと苦労するだろうと子どもながらに分かって、内股で歩くのを直したりしました。それなりに優等生だったので、「普通の人みたいに、こう振る舞えばいいんでしょ」って。

――すでに客観的に自分のことを見ていたのですね。

でも、思春期になると男女で付き合い始めたりして、そんな話題も出てきてどうしようと思って。それで編み出したのが「不思議ちゃん」戦略。恋愛とかよく分からない、みたいな妖精的な存在になって自分を押し殺していました。ただ、大学に入ると自分に向き合う時間が増えて、ずっと嘘をついてきたから自分を見失ってしまったんです。性のアイデンティティで混乱し、華やかなキャンパスでお金持ちの子なんかを間近で見て格差社会を感じ、さらに父親が癌になってもうパニック状態!それでちょっと病んでしまって大学を1年間休学しました。

――つらい時期をどのように過ごしましたか?

徹底的に理論武装をしたことで、自分を受け入れられるようになりました。何か言われても「私は私でいい」「ゲイでいいんだ」と言い返せるように、本や雑誌を読み込んで。真面目というか弱さの裏返しかもしれないですけど。父を看取った後、大学にも復学しました。それで、女装を始めて新宿二丁目にも行くようになって、だんだんと自己肯定感を得られるようになりましたね。

女装家と金融業界、二足のわらじで見つけた道

――大学卒業後は証券会社に進まれたそうですね。

はい。ただ、入社直前に急性肝炎になってしまって入院することに。病室で証券外務員二種の勉強をして受かったけれど、退院後も忙しい毎日に身体がついていかず3ヶ月で退職。証券会社のコールセンターでバイトをした後に、銀行で派遣社員として働き始めました。電話で商品を提案して成約までを行う仕事ですね。投資信託や保険も勉強して、証券外務員一種と保険販売ための資格も取得しました。そうして女装も続けながら、気づくと30歳手前だったんです。先の人生を考えたときに、正社員の悲喜交々を経験しておくと役立ちそうだと思うようになりました。そして保険会社に入りました。

――保険会社の仕事はどうでしたか?

体質的に一番合いました。なぜかって、女性が多いから。前職の経験も役に立って、キャリアが花開いた感じですね。上司と一緒に引き抜かれたりしながら何社か勤めて、マネージャーにもなりました。

――優秀だったんですね。

私はずっと、大学の同級生たちに差をつけられていると感じて惨めだったんですよね。だから必死に働いて。何とか追いついてきたと思ったら油断したのか、ふわっと体調を崩しました。そのときにテレビを見たら、今まで一緒にやっていたマツコさんやミッツさんが楽しそうに生き生きと働いていたんですよ。「あれ、こういう生き方もあったのか」と。

――それで女装家としてフリーへの転身を考えるように?

その後、勤めていた保険会社が事業規模を縮小することになって、実質クビになりました。一生懸命働いていてもこういうことがあるんだって。だったら、やりたいことをやってもいいかなと思ったのと、父親が50代半ばで亡くなったことを思い出して、元気に働けるのはあと10年ぐらいじゃないかと考えたんです。結局もう一度会社に呼び戻されたけど、女装家として物書きをしたりお店を手伝ったりするようになって、42歳で会社を退職しました。

――ピンチをチャンスに、ですね。

チャンスって構えると気負いすぎちゃうので、「ピンチはチェンジ」って私は思うんですよ。変わった方がいいタイミングだと知らせてくれているんだって。

――「ピンチはチェンジ」良い言葉ですね。

私は飽きやすくて変化を好む気質みたいです。不安定だし怖いけれど、新しい現場で新しい人たちと出会って、一生懸命働くのが自分に合っていると思います。

――ちなみに女装に飽きることはないですか?

飽きない!奥深いんですよ。私は仕事以外では女装をしないんです。だから女装をすると自分の視点が変わるし周りからの見られ方も変わって発見がある。社会のヒエラルキーの外を浮遊している感覚ですね。

魔女になる!?ニクヨさん流、お金の使い方

――ニクヨさんにとって、お金とは?

お金はもちろん好き。お金を稼げるようになるというのは、自分に力が付いていることを証明する一つの方法。だから、もっと稼ぎたいし稼ぐためにお金を使いたい。私はゲイなので、現状では家族を持てない。仕事しか残せるものがない。だから、仕事の質を上げるのが第一優先です。

少し前に「私は何になりたいんだろう」って真面目に考えたんですよ。出てきた結論が「魔女」笑。物知りで色々なことができて長生きする、そんな魔女みたいに私もなりたい。私は自分が大好きだから、自分はもっと良くなると信じて、勉強する、本を読む、旅行をする、衣服を整える。出会うべき人に出会えるようにお金を使います。

――自己投資ですね、使うべきところに使う。

自己投資って言うと気恥ずかしいから、「魔女修行」笑。たしかに、若い人みたいにコスパ・タイパは考えますね。ミッツさんなんかにはケチって言われるけど、仕事で使った経費は少額でも領収書をしっかりもらいます。

――お金の配分についてはどのように考えていますか?

私はフリーランスなので、3年ぐらい何もしなくても生活できる分だけ普通預金に置いています。それを超えた分は、金融商品に投資をして増えた分を自分への投資に回します。

――何に投資していますか?

主に投資信託ですね。個別株は「推し活」って考えて応援する会社を数社だけ買うように。財務諸表はもちろん見ますが、社長や社員の雰囲気、CMの印象も意外と大事にしています。会社は生き物なので、嫌いになったら損が出ないタイミングを見計らって売ってしまいます。ちなみに、投資信託の基本的な考え方は、お金を活用して社会を良くしていくということですよね。

「働き続ければ、なんとかなる」 今、若者に伝えたいこと

――最後にニクヨさんから若者へのメッセージをお願いします。

ライフステージが変わっても、常に自分に投資する気持ちを忘れないでほしいです。将来への不安があるかもしれないけど、「働き続ければ、なんとかなる」が私の持論。大切なのは歳をとっても価値が減らない自分をつくり続けること。そのほうが楽しいし、自分を大事にしていると後悔が少ないですよね。家族を優先して自分は後回しでいいと思う瞬間があるかもしれない。でも、親が自分自身にお金や時間を使い、イキイキと仕事で稼いでいる姿を見せる方が、子どもにとって良いロールモデルになるんじゃないかなと思います。

――私も20代の若者なのでとても参考になりました。本日はありがとうございました!

肉乃小路ニクヨさん  
慶應義塾大学在学中の1996年より女装を開始する。並行して会社員としても勤務。主に銀行と保険会社でキャリアを積む。セクシャルマイノリティーとしての葛藤で苦しんだ青少年期とショウガール、ゲイバーのママ、会社員時代に鍛えた人間観察力を活かして、経済、お金、恋愛、ライフスタイル等についてを語る。